園だより”だいいち”巻頭言

<平成27年10月>

             子どもに寄り添い、見守り続ける

                                  園長  北江 紀子

◆感動的な一瞬に立ち会う

 日々保育をしていると、感動的な一瞬に立ち会うことが時々あります。つい先日も、こんなことがありました。三歳以上児のあるクラスの担任が興奮した様子で語ってくれた出来事です。運動会に向けて跳び箱の練習をしていた時のこと、それまで一度も跳べなかった五歳児のAくんが、何度も何度も繰り返し練習した結果、ようやく跳べたのです。その瞬間、Aくんは何が起きたのかというようなキョトンとした表情を浮かべ、傍で見守っていた担任と顔を見合わせたそうです。次の瞬間、担任の目から涙が溢れました。すぐに駆け寄り「すごい!跳べたが~!」とAくんを抱きしめると、彼も泣き出し、それを見ていた他の保育士も涙を流し、その場は大きな感動に包まれたそうです。涙はやがて笑顔に変わり、「ボク跳べた!」と明るい表情を浮かべたAくん。このことがきっかけとなり自信がついたのか、それからは何事にも積極的になってきたということです。

 また、こんなこともありました。アトリエ・キピでの出来事です。五歳児のBくんは絵画にあまり興味がなく、あっという間に描き終えることがほとんどでした。ところが、先日は違いました。その日描いた海やクラゲの絵を「できた~」と持って来た時、キピ先生に「他にも、海の生きもの…たとえば魚とか描いてみたら?」と言われ、Bくんは「魚は描けん」「失敗するから」と困った顔でその場に立ち尽くしてしまいました。そこで「じゃあ、キピ先生と一緒にやろう!失敗してもいいから」と誘い、「ホラ、手でも描けるよ」などと声をかけたのですが、「汚れたらお父さんに怒られる」と、なかなか描こうとしません。しかしその場を離れようともしないのです。いつも明るくおしゃべりに見える彼の意外な一面でした。おそらく心の中では様々な葛藤が渦巻いていたのでしょう。画用紙に向かいうつむいたまま二~三十分間が過ぎ、(どうしたものか…)と思案に暮れていた時のこと、彼の目から涙がポトリと落ちました。次の瞬間、すっくと立ち上がったBくんが、意を決した表情で歩き出したので、一瞬もうやめてしまうのかも知れないと思ったそうです。ところが何と彼は絵の具皿の所へ行き、筆に絵の具をつけて戻ってきたのです。その瞬間、キピ先生は思わず泣きそうになったと言います。このあとBくんは何かが吹っ切れたように自由にのびのびと、迷いなく両手に絵の具をつけて画用紙が擦り切れるほど夢中になって描き切ったのです。そして描き終わった時、「あ~楽しかった!」と、とても満足そうな表情を見せてくれたそうです。

◆結果より大事なのはプロセス

 Aくんにしても、Bくんにしても、ただ単に跳び箱が跳べたとか、自分らしい絵が描けたとかいう目に見える結果だけを評価しているのではありません。それ以上に大事なことは、二人とも苦手なことに正面から向き合い、失敗を恐れたり逃げ出したくなったりする弱い心と闘いながら、自分の意思で勇気をもって一歩を踏み出したということ。そして様々な葛藤をくぐり抜け、ついには目の前に立ちはだかる大きな壁を乗り越え、自分の可能性を広げることができたということです。そこに至るまでのプロセスの中で経験した様々な感情や体験が、彼らの心を一回りも二回りも大きく成長させ、自分への自信とつながったのです。二人の達成感に満ちた表情がそれを物語っています。

 また、それを支えた周りの大人の存在も忘れてはなりません。くじけそうな気持ちを温かいまなざしで見守り、時には叱咤激励し、時には優しく励ましながら、辛抱強く最後まで丁寧に付き合ってくれる大人の支えがあるからこそ、子どもたちは頑張れるのです。そして、壁の向こうの素晴らしい景色に出会う感動の一瞬に立ち会い、喜びを分かち合うことができるのです。

 心の動きは目には見えません。しかし、子どもの一瞬の表情の変化の中に心の動きを感じることはできます。その一瞬の変化を見逃さず、子どもの気持ちに寄り添い、見守り続けることが私たち大人の役割です。くれぐれも大人の都合で子どもを動かそうとすることだけは避けたいものです。

<平成27年9月>

                アート・あーと・ART

                                  園長  北江 紀子

◆「保育のなかのアート」勉強会

 猛暑もようやく一段落し、朝夕はめっきり涼しくなってきました。夏の間じゅう、園庭で子どもたちに追いかけ回されながらも、ほんの一瞬の短い命を精いっぱい生きようと、あれだけうるさく鳴いていたセミの声もいつしか聞こえなくなり、その静けさとともに、まるで祭りの後のような夏の終わりに一抹のもの悲しさを感じます。

 セミと同じように、子どもたちも暑さにめげず、プール、水遊び、どろんこ、色水あそび、ボディーペイント、シャボン玉など、夏の遊びを満喫しながら、その瞬間その瞬間を精いっぱい、元気いっぱいに楽しく過ごしたようです。

 そして私たち職員はと言えば、今年の夏は大いに勉強に取り組んだ夏でした。何を勉強したかと言うと「保育のなかのアート」という本の勉強会を週二日のペースで計八回実施したのです。この本は、前にもこのページでご紹介した六月の「アートが開く子どもの世界」をテーマに掲げた全私保連研究大会のワークショップの講師で、子どもの絵画造形の専門家である磯部錦司氏と、鳥取の赤碕保育園の福田泰雅園長の共著です。ベースになっているのは磯部氏の「子どもとアート」に対する考え方なのですが、その理論を実践で裏打ちしているのが、赤碕保育園の「プロジェクトアプローチ」という保育実践で、この本にはその内容が具体的に写真とともに数多く載せてあります。

 本園の今年度の重点目標である「一人ひとりの子どもの存在を受けとめていく」というテーマや「表現活動の充実」、そして三歳以上児の異年齢保育による「プロジェクト活動」と、まさに今、私たちがやろうとしていることの大いに参考になりそうです。そこで職員に、「みんなで一緒に勉強してみない?」と声をかけたのですが、何とこの忙しいのにも関わらず、毎回二十人弱の職員が参加してくれたのです。もっと驚いたのは、二千円もする本なのにみんな自腹で購入してくれたことです(笑)。夏季保育中は人手も少なく、いくらお昼寝中とはいえ、時間を作って勉強会に参加するには担任間の協力なくしてはできないことです。そんな中、これほど多くの職員が交代し合って参加してくれたことはとても嬉しく、園長として本園の職員たちを誇りに感じました。

◆こばとサマーフェスタ

 さて、職員が八月一ヶ月かけて勉強している最中、学童保育こばとクラブでは百人近い夏休みの小学生が朝から晩まで賑やかに過ごしていました。今年度から国の新たな子ども子育て支援制度の重点項目として学童保育の充実が求められるようになり、こばとクラブも放課後児童支援員(以前は指導員)を二名増員し、現在六名体制で保育をすすめています。そして、新たに加わった支援員の一人が「アトリエ・キピ」のキピ先生なのです。つまり、保育園と学童保育を掛け持ちで、絵画造形などものづくりの指導を専門にするアトリエスタとして活動しているのです。

 保育園でのワークショップは月三回ですが、学童ではほぼ毎日小学生と絵画製作をしています。今まではものづくりの環境も十分に整えられてなかったのが、一人の専門家が加わったことでずいぶん変わってきました。そして、個性的なアート作品が次々と生み出されてきました。

 そこで、夏休みを締めくくるイベントとして「こばとサマーフェスタ」を企画し、これまで四ヶ月の間に学童で作った作品や、五.六年生有志による「ソーラン節」の踊りを保育園の子どもたちに見てもらうことになりました。そして先日、超満員のホールで「こばとサマーフェスタ」が賑やかに繰り広げられたのでした。(その様子は、保育園のホームページのブログにUPしています。) 九月を迎え、セミの鳴き声はもう聞かれませんが、取って代って園庭に子どもたちの歓声がセミ以上に賑やかに響き渡る季節がいよいよやってきました。十月三日の運動会に向けて、二歳児以上のクラスではまもなく練習が始まります。子どもたちにとって楽しい運動会にしたいものです。

<平成27年8月>

                   絵本が教えてくれたこと

                                  園長  北江 紀子

◆「ぐりとぐらとぼく」

 <僕がはじめて、『ぐりとぐら』に出会ったのは、保育園に通っていた頃だった。保育園の本棚には、いくつも絵本が並んでいた。その中でも、『ぐりとぐら』は、みんなから大人気だったし、僕にとっても一番のお気に入りだった。>…こんな書き出しで、絵本『ぐりとぐら』について書いているのは、処女作「火花」で芥川賞を受賞したお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さん。福音館書店のホームページに、「ぐりとぐらとぼく」というタイトルで掲載されているエッセイです。

 <ぐりとぐらが作るカステラは本当に美味しそうだったから、僕のお腹は自然と音を鳴らした。カステラの香りに誘われて集まった森の仲間達との食事会はとても楽しそうだったから、そこに参加している自分を何度も想像した。そして、あの大きなたまごのからで作られた車にどれほど一緒に乗りたいと思ったことか。>…と、心を踊らせながら読んでいた当時の気持ちを鮮明によみがえらせています。おそらく同じようなことを感じながら、今も多くの子どもたちがこの絵本を見ているのでしょう。『ぐりとぐら』が半世紀にわたって愛されてきた理由がわかるような気がします。

 なぜ『ぐりとぐら』を読むと心が踊るのか?彼の答えは実に明確です。<それはほかでもなく、ぐりとぐらの二匹が誰よりも、心を踊らせているからだ。>と言い切り、さらに次のように続けています。<『ぐりとぐら』から僕が学んだことは、まず自分が楽しんでいないと周りの人を楽しませることはできないということ。そして、なんの変哲もない日常に不満があるならば、自分で楽しいことを見つければ良いということ。ぐりとぐらのように自身の中で好奇心を爆発させれば良いのだ。その爆発によって飛び散った好奇心の粒たちが日常を冒険に変え、楽しい物語を生む。大人になって『ぐりとぐら』を読み返してみると、そこに人生を楽しむための重要な方法が描かれていたことに驚いた。『ぐりとぐら』は身をもって僕にそれを教えてくれていたのだ。>

 さすが芥川賞作家だけあって、深い洞察力に満ちた、何ともうまい文章表現をするものです。

◆日常は楽しむためにある

 彼に限らず、自分が幼い頃に出会ったお気に入りの絵本の印象やその当時の気持ちを、大人になっても驚くほど鮮明に覚えている人がいます。また、本屋の店頭で偶然手にした絵本から、忘れていた記憶がある日突然、懐かしさとともによみがえることもあります。絵本とは、そういうものなのです。しかし、そこからさらに一歩踏み込んで、彼のように「なぜ?」と、自問自答する人は極めて少ないと思われます。子どもの頃にその絵本が好きだった理由について深く考えるなんて、ほとんどの人はまずしません。ところが彼は、大人になって『ぐりとぐら』を読み返すことで、その「なぜ?」に対する答えを見つけたのです。そして、その答えが原点となって今の自分の生き方につながっていることや、生きる力になっていることに気づいたようです。お笑い芸人も作家も、人を楽しませることに変わりはありません。だけど、人を楽しませるには、まず誰よりも自分がそのことを楽しんでいないとできないということを、彼は『ぐりとぐら』から教わったと言います。

 このエッセイの最後を彼はこう結んでいます。<僕は、臆病で悲観的で面倒くさがりで顔色も悪い人間だけど、時にはぐりとぐらであろうと思う。なにもない日常を、生きにくい社会を、誰かのせいにせず、時代のせいにせず、自身の好奇心を爆発させて、退屈な日常も面白い毎日に変えていこうと思う。少年だった僕の心の底に「日常は楽しむためにある」という意識の芽を植えたのは、きっと二匹のねずみ、ぐりとぐらの仕業だと思う。>…と。 

 今話題の人である又吉直樹さんの『ぐりとぐら』の絵本体験は、子どもに関わっている私たちに多くのことを教えてくれています。絵本は生きる力を与えてくれるということの一つの証明でもあります。将来、芥川賞作家にならなくても、楽しく生きていく力になるのではないでしょうか。

<平成27年7月>

                  田植えとアートの物語

                                    園長 北江 紀子

◆「ぬるぬるして気持ちええなあ~!」

 先週末の三歳児親子ふれあいデーを皮切りに、今年もいよいよ本園の田植えシーズンが始まりました。毎年恒例の雄町の田んぼでのお米作りのスタートです。五歳児のもみまきから始まり、三歳以上児による田植え、稲刈り、天日干し、脱穀、もみすり、そして新米おにぎり作り、正月のお飾り作りまで、ほとんどの作業を機械でなく子どもたちと手作業でするのですから、保育園でこのような米作りをしているところは珍しいと思います。その分、職員は大変なのですが、田植えは三歳児の保護者の皆さんが、そして稲刈りは五歳児の保護者の皆さんが親子ふれあいデーとして参加し協力して下さるので大助かりです。もちろん、畑のおじさんこと近藤さんと藤井さん、運転手の中尾さん、学童のヨッシー先生とつばさ先生、フリーの先生方が陰で支えてくれていることは言うまでもありません。特に今年は田植えの準備の代掻きをしている時に、機械が壊れるというアクシデントが起きたせいで予定が狂ってしまい、土曜日の三歳児親子ふれあいデーの田植えに間に合わせるために、学童の男性指導員二人が前日に大雨の中、カッパを着て代掻きをしてくれ感謝です。

 こうした皆さんのお陰で今年も無事に田植えができているのですが、先日私も田植えの様子を見に行きました。ちょうどふじ組の四、五歳児が一列に並んで苗を植えているところでした。さすが経験している子どもたちは手慣れたものです。田んぼのぬかるみもへっちゃらです。それどころか泥に座り込んで、「ぬるぬるして気持ちええなあ~」と口々に言っているではありませんか!そして田植え仕事が終わると、次はお決まりの泥遊びです。泥んこの中を、ワーワーきゃーきゃー言いながら、担任の先生との鬼ごっこや泥合戦をへとへとになるまで繰り広げていました。中にはワニのように四つん這いで泥の海を這いずり回る子や、泥パックよろしく身体中に塗りたくっている子もいます。でも、どの子もキラキラと目を輝かせて本当に楽しそうでした。きっと五感にスイッチが入り、身も心も解放されたのでしょう。子どもの中の野生が目覚めた瞬間でした。

◆アートが開く子どもの世界

 話変わって、六月中旬に鳥取市で開催された全国私立保育園研究大会にキピ先生と一緒に参加して来ました。「アートが開く子どもの世界、大人の生活」というこの大会のサブテーマが、今私たちがやろうとしている「一人ひとりの子どもの存在を受けとめていく」や、「表現活動の充実」につながっているような気がしたからです。案の定、その予感は的中していました。大会初日には、「アートな生活としての保育を考える:子どもを実践の視点に」と題して、アートを通した創造的な保育を実践されている三人のシンポジストによるシンポジウムがあり、二日目にはそのシンポジストによる「絵画」と「造形」のワークショップがありました。私は残念ながら定員の都合で参加できませんでしたが、キピ先生は首尾よく「絵画」のワークショップに潜り込むことができ、たっぷり一日ワークショップを体験することができたようです。そして、思いっきり子どもに帰って楽しんだそうで、感想を聞くと「私の中の子どもが喜んでいた」と面白い表現をしていました。その体験はいずれ「アトリエ・キピ」の活動で、子どもたちに還元されることでしょう。

 シンポジウムの中で私の心に強く印象に残っているのは、子どもの生活そのものをアートとしてとらえるということです。アートと言えば、一般的には「芸術、美術」という意味ですが、子どもの世界においては、生活するなかで物と関わることによって生まれる行為や、生活の中に起こる創造的な営みそのものをアートとしてとらえることができるというのです。子どもが物と出会い、五感で感じること、それを何らかの表現にして表すこと、そのプロセスすべてがアートであり、決して作品や結果だけではないというのです。そこにはその子なりの感じ方や生活や背景があり、一人ひとり違うストーリーがあるのです。こうしたアートに対する考え方は私にとってまさに「目からうろこ」でした。そして「その子の表現に目を向けることは、その子の存在に目を向けることだ」という言葉も、まさに今年の本園のテーマにつながっていて心に響きました。そう考えると、前述の田んぼでの野生児さながらの泥んこ遊びも、泥と出会い、泥を五感で感じ、泥ととことん関わることによって生まれた創造的な営みそのものであり、ひとつのアートと言えるのかもしれません。

<平成27年6月>

                表現は子どもの存在そのもの            

                                   園長  北江 紀子

◆「アトリエ・キピ」ってどこにあるの?

 三歳以上児の異年齢クラスにお子さんがおられる保護者の方々はすでにご存知でしょうが、五月からスタートした「アトリエ・キピ」についてお知らせしたいと思います。先月号のこのページで「今年度は子どもたちの表現活動の充実に取り組んでいきたい」と書きましたが、その具体的な形の一つが、この「アトリエ・キピ」です。実はずっと以前から、もっと自由に子どもたちが絵を描いたり、製作ができるような環境をつくってあげたいと考えていました。なぜなら、子どもたちは「描く・作る」ことが大好きで、時間と空間、そして材料さえあれば、自分なりの個性を発揮し、とても想像力豊かな作品を作れるということがわかっていたからです。にもかかわらず、保育室のスペースの問題や時間的な制約、何よりも指導的人材が確保できないなど、様々な課題がクリアーできず、これまで実現できなかったのです。そして、「もっと描きたい」という子どもの声に応えられないことに多くの保育者が悩んでいたのでした。

 ところがそんな矢先、美術を専門的に学んだ格好の人材が見つかり、話はトントン拍子に進んだというわけです。本園で長年絵画指導して頂いている辻先生とは別のアプローチで、講師のキピ先生には、子どもたちの自由な絵画・造形表現を引き出してもらいたいと考えています。

 さて、そんな願いを込めた「アトリエ・キピ」のオープン初日のことです。最初にやって来たのはきく組全員の子どもたちです。事前に子どもたちには「アトリエ・キピ」と「キピ先生」という言葉、「自由に絵が描けるよ」くらいしか知らされておらず、(一体どこで誰がどんなふうにするのだろう…?)とワクワク、ドキドキしながらゾロゾロと場所を探し歩く子どもたち。そしてようやく、いちご組の部屋の前に見かけない看板と見たことのない人を見つけ、「あの人がキピ先生かなあ~」「聞いてみよう!」「キピ先生ですか?」「はい、そうです」「あ、やっぱりじゃあ~」「入ってもいいですか?」「はい、どうぞ」こんなやり取りがあって、「アトリエ・キピ」が始まりました。それからの時間は、思い思いに自分なりの表現を自由に楽しみ、何枚も描く子や画用紙が破れてしまうほど一枚に色を塗りこめる子、今までにない表現をする子など、実に興味深く面白い時間となりました。子どもたちも「楽しかった~」と堪能した様子で「今度はいつできるの?」と次回を楽しみにする声も聞かれ、幼い画伯たちには大好評でした。

◆「存在を認める」ではなく「存在を受けとめる」

 今年度私たちは「一人ひとりの子どもの存在を受けとめていく」ということを重点目標に掲げて保育をすすめています。「存在を受けとめる」というのは、単純に「存在を認める」という意味ではありません。「存在を認める」だけなら、ただ傍観的に見ているだけで済みますが、「受けとめる」からには、保育者はその子と正面から向き合わなければなりません。そして、その子が投げてくるボールをしっかりと全身で「受けとめる」ことが求められます。そのボールは必ずしも受けやすい易しい球だけではなく、時にはズシンと重い剛速球だったり、とんでもない変化球だったりすることもあります。下手をすると受け損ねたり、手のひらに痛みを感じたり、突き指をしたりするかもしれません。また時には、ストライクゾーンを大きく外れる荒れ球だったり、地面を転がるゴロだったり、或いはいつまで待ってもなかなか投げようとしないこともあります。そんな時には、どうしたらいいか保育者自身も悩み、心が揺れ動きます。何れにせよ、どんな球でも逃げずに「受けとめる」には、それなりのエネルギーと覚悟が必要となります。日々子育て中の保護者の皆さんも同じ経験をされていて、忙しさのあまりついイライラして邪険に扱ったり、時には無視したくなることもあるのではないかと思います。でも、こうした子どもとの心のキャッチボールを大切にしていくことこそが「子どもの存在を受けとめていく」ということに他なりません。それができるのは子どものことを大事に思う大人たちの、子どもに共感する優しい心だと私たちは考えます。

 「アトリエ・キピ」で、一人ひとりの子どもの表現を大事にすることも、実は「一人ひとりの存在を受けとめていく」ことにつながっています。なぜなら表現はその子の存在そのものだから…。

<平成27年5月>

              目に見えない子どもの心の育ちを支える

                                   園長  北江 紀子

◆子どものポジティブさと逞しさ

 新年度がスタートして一か月が経ちました。三十数名の新入児を迎え、継続児も新しい環境での生活が始まり、(さて、どうなることか…?)と心配していたのですが、思っていたほど泣き声も聞かれず、落ち着いたスタートを切ることができホッとしています。年度初めに保育室を回った時にも、新しいクラスのコーナー遊びに夢中になっている三歳未満の子どもたちの姿や、三歳以上児のクラスでは、張り切ってお手伝いする新五歳児の頼もしい姿も見られ、環境の変化を不安に感じるどころか、むしろ積極的に楽しんでいる様子に、子どものポジティブさと逞しさを感じました。

 さてそんな中、気になるのは三月に巣立っていった卒園児のことです。入学式の後には、数人の新一年生が、誇らしげに真新しい制服とピカピカのランドセルを見せに来てくれましたが、気になるのはその後のことです。果たして小学校生活に馴染めているだろうか、授業時間にきちんと座れているだろうか、先生の話をちゃんと聞けているだろうか、友だちはできただろうか…等々、まるで保護者と同じ気持ちです。本園で培ったはずの「丈夫な根っこ」の真価が問われるときです。

 その後、数人の卒園児の保護者の方々から聞いた話によると、二~三日は環境の違いに戸惑う姿が見られたり、夕方にお家で一人ぼっちで待っている寂しさに涙したりと、いろいろあったようですが、すぐに慣れて友だちもでき楽しく登校しているようです。初めての参観日では、見ている保護者が恥ずかしくなるほど自由にのびのびと自分を出していたという微妙な報告も受けています。そして家庭訪問でも、元気がいいとか、友だちを作るのが上手とか、クラスを仕切っているとか、担任の先生から言われ、親が思っている以上に学校では頑張っているのだなと思ったそうです。

 それを聞いて、やれやれと肩の荷が下りた気がしました。まずは順調なスタートを切ることができているようです。新しい環境に飛び込んでも、自分らしく振舞えるということは、その子の心の中に人に対する信頼感と自己肯定感が育っている証拠です。勉強ができる、できないよりも、実はこの目に見えない心の育ちの方がずーっと大事なことのように思います。

◆表現することは心を開いていくこと

 この時期、新しい環境にまだ馴染めないでいる子は、泣いたり、怒ったり、ダダをこねたりしてストレートに感情を大人にぶつけてきます。或いは、無表情になったり、喋らなくなったり、爪かみやを指しゃぶりをしたりして、頑なに自分の心を閉ざしてしまう子もいます。その表現の仕方は一人ひとり違いますが、何れにせよ言葉にできない不安な気持ちをその子なりの表現で訴えているのです。まずはこうした子どもの気持ちを大人が理解し、その表現をしっかりと受けとめてあげることで、子どもは安心して少しずつ自分から心を開いていきます。

 しかしその一方で、子どもは泣きながらも周囲の人や物にアンテナを張り、自分の目や耳や鼻や感触など五感を駆使して新しい環境の情報を必死に取り込もうともしています。つまり子どもの心の中には不安感と同時に好奇心も生まれているのです。だから、五感がきちっと満たされる環境の中で好奇心を刺激することによって、不安な気持ちがなくなるということもあるのです。たとえば戸外に出ると泣きやんだり、どろんこ遊びでスッキリしたり、わらべうたで落ち着いたり…。

 今年度、私たちは子どもの表現を大事にしていきたいと思っています。そして、子どもが感覚で取り込んできたものを、いろんな形で自由に表現できるような環境を整えていくことで、一人ひとりの子どもにふさわしい表現力を伸ばしたいものです。

「人間の尊厳は表現によって支えられている」という言葉を読んだことがあります。その意味の深いところを理解したいと思っているのですが、本園の今年度の重点目標の一つである「子どもを一人ひとりかけがえのない大切な人間として尊重する」ことの具体的な一歩が、もしかするとこの表現にあるのかもしれないと考えています。

<平成27年4月>

            一人ひとりの子どもの存在を受けとめていく

                                   園長  北江 紀子



 新入園のお子さま並びにご家族の皆様、ご入園を心よりお祝い申し上げます。そして、継続入園のお子さま並びにご家族の皆様、ご進級おめでとうございます。

 平成二十七年度を迎え、いよいよ「子ども・子育て支援法」に基づく保育所新制度がスタートします。と言っても、制度の仕組みは大きく変わりますが、保育の中身ががらっと変わるわけではありません。本園では今年度も引き続き職員一同また新たな気持ちで、保護者の皆様のご理解とご協力を仰ぎながら、ともにお子さまの健やかな成長を見守り、本園の保育目標である「丈夫な根っこを育てる保育」の充実に向けて、一生懸命に取り組んでいきたいと思います。

 また、この園だより「だいいち」をご家庭と保育園とをつなぐ懸け橋として、様々な情報を発信していきたいと考えていますので、今年度もどうぞよろしくお願い申し上げます。

◆今年度の取り組みについて

 本園では昨年度、異年齢保育の新たな展開として年齢別活動の導入と日課の見直しに取り組んできました。その結果、異年齢保育の良さに加え新たに年齢別活動をとり入れたことで、一人ひとりの発達がよく見えるようになり、より個々に応じた適切な関わりができるようになってきました。子どもたちにとっても、縦の関係に加えて同年齢の横の関係が広がったことで、人との関わり方を学ぶ機会がより豊かになりました。また、規則正しい日課のくりかえしを通して、子どもたちが安定した気持ちで一日を見通しをもって主体的に過ごせるようになってきました。少しずつですが、昨年度の取り組みの成果が現れてきているように感じます。そこで今年度も同様の取り組みを続けながら、さらなる保育の質の向上を目指していきたいと思っています。

 そして今年度は「一人ひとりの子どもの存在を受けとめていく」ということを重点目標にしました。実は今、日本の子どもたちに一番欠けているのは、自分が受けとめてもらえているという確信だと言う人がいます。その確信がもてないので子どもたちは不安で、そのまま大きくなっていって不安定な状態が続くと言います。世間を騒がせた様々な少年事件の背後にも、深い心の闇が少なからず垣間見えます。家庭にも学校にも安心してありのままの自分を出せる居場所がなく、自分のことを「透明な存在」だと言う少年。偏差値は高いのに、「人を殺してみたかった」と言う少年…。極端な例かもしれませんが、昔は考えられなかったようなことが現実に起こっている時代です。おそらく事件を起こした少年の親たちも、まさか我が子を犯罪者にしようと思って育ててきたわけではないでしょう。なのになぜ…?こうした事件が起きるたびに、子を持つ親として胸が痛みます。

 もし、彼らがそれまでの人生のどこかで誰かに自分の存在をしっかりと受けとめてもらえていたら、こうはならなかったのではないかと私は思います。特に幼児期、親に存在を受けとめてもらえているという確信がもてれば、子どもは安心して人生を歩むことができるのです。存在を受けとめるというのは、その人のことを大事に思うという心の動きです。その人に共感する優しい心と言い換えることもできます。だとすると、私たち保育士の役割も重要であることに変わりありません。

 私たちが日々接する子どもたちは、保護者の皆様からお預かりした大切なお子さんです。本園を信頼して選んで下さったことに感謝し、一人ひとりのお子さんを大事に思いながら今年度の保育をすすめていきたいと考えています。「未来の大人」である子どもを、一人ひとりかけがえのない大切な人間として尊重し、子どもの心の動きに保育者も心から共感的に向き合いながら、その存在をしっかりと受けとめていくことで、子どもが社会の中で主体として生きる力の土台となる心の育ちを支えていきたいと思います。

 保護者の皆様、今年度も本園の保育にご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。